島原街道、お駕籠立て場
島原街道
島原街道は、江戸時代に島原半島を一周する主要な道路でした。島原城下から島原半島北側の有明海沿いを半時計回りに半周して愛野へ至る道(北目道)は、島原藩主の参勤交代においては、諫早で長崎街道と合流して江戸へ向かう道となっており、今でも「殿様道」と呼ばれています。
ここから東側の島原市境から雲仙岳に向かって伸びる沿線には、奈良時代の肥前国高来郡(たかくのこおり)の代表的な寺院跡と考えられる五万長者遺跡があり、6世紀中頃の築造とされ「鬼の岩屋」と呼ばれる高下(こうげ)古墳など3つの古墳が残っています。
お駕籠(かご)立て場
お駕籠立て場は、殿様が休憩のために駕籠を立たせた場所とされており、この場所で、しばし長旅の疲れをとっていたものと思われます。