1019 [雲仙市] [神代] 伊東家 [日]

伊東家

伊東家は、江戸時代から現代まで続く医者の家柄です。邸宅は残っていませんが、オガタマノキなど樹齢200年を超える大木が残っています。伊東家は初代・新左衛門が興し、キリシタン大名・有馬晴信により漢方内科医として召し抱えられた3代目に、キリシタン武将・結城弥平治(ゆうきやへいじ)の娘が嫁いでいます。

土黒村には寛文8(1668)年、4代目の代に移住し、「披雲堂(ひうんどう)」を開業し、治療を行っていました。寛政4(1792)年の島原大変時には、津波被害等で避難を余儀なくされた負傷者等を、7代目が治療したことが記録に残っています。

結城弥平治は美濃(岐阜県)出身で、小西行長の肥後(熊本県)宇土城入城に伴い、矢部城主を務め、関が原の戦い後、有馬晴信に金山城主として迎えられました。金山城は地元では結城城と呼ばれ、城跡が残っています。


所在地


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