1018 [雲仙市] [神代] 札の元、番所跡 [日]

札の元、番所跡

札の元

この十字路にはかつて高札が立っており、札の元と呼ばれていました。殿様が参勤交代で江戸までの往来において、土黒港を利用する場合、この四辻を通っていました。交差点の片隅には、明治23(1890)年建立とされる道標が残っており、東西南北にそれぞれ、東(島原)、西(長崎)、南(温泉)、北(県道)と刻まれており、往時から主要な十字路だったことが伺えます。

番所跡

江戸時代、番所が置かれていました。番所とは、交通の要所に設けられ、通行人などを見張り、積み荷の検査や税の徴収などが行われていた場所です。かつては入り口が鍵型の石垣が残っていましたが、道路拡張に伴い解体されました。


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1017 [雲仙市] [神代] かなくそ原 [日]

かなくそ原

「かなくそ」とは、砂鉄から鉄をつくる製鉄の際に出る鉱滓(こうさい、「かす」のこと)を指します。道路でも畑でもこの辺一帯を少しでも掘れば、かなくそがたくさん出てきたため、この地域は「かなくそ原」と呼ばれ、この坂道は「かなくそ坂」と呼ばれています。この地域一帯では古代から盛んに製鉄が行われていたようです。

製鉄の原料となる砂鉄は、土黒川から採取したものとされており、この川は別名「鉄川(くろがねがわ)」と呼ばれています。


所在地


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1016 [雲仙市] [神代] エノキの木 [日]

エノキの木

島原街道の街道筋にはエノキの木が植えられ、今なおその姿を残している木もあります。

江戸時代初期に全国の街道を整備して、目印として1里(約4km)ごとに樹木を植えることになった際、将軍の「余の木(それ以外の木)がよい」という言葉を家臣が聞き間違えて、エノキを植えることになった、と伝えられています。


所在地


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1015 [雲仙市] [神代] 種屋跡、蚕場(かいこば) [日]

種屋跡、蚕場(かいこば)

現在の多比良地区馬場集落センターの近くには、かつて養蚕農家に配る蚕の幼虫を飼育する長屋があり、農家の娘さんが指導者のもと働いていたと伝えられています。ここより東側には、蚕の卵を取り扱っていた種屋があり、養蚕指導員が駐在し、指導に当たっていたこともありました。

また、西に400m進んだ土黒川には、土黒出身の松本信輝が蚕室(さんしつ)を設け、養蚕の研究に取り組んでいました。松本は、雲仙岳の風穴の冷気を利用して蚕の卵を眠らせ、養蚕の開始時期を調整する貯蔵蚕飼育に成功し、島原南高地区の養蚕業の基礎を築いた人物とされています。


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1014 [雲仙市] [神代] 島原街道、お駕籠立て場 [日]

島原街道、お駕籠立て場

島原街道

島原街道は、江戸時代に島原半島を一周する主要な道路でした。島原城下から島原半島北側の有明海沿いを半時計回りに半周して愛野へ至る道(北目道)は、島原藩主の参勤交代においては、諫早で長崎街道と合流して江戸へ向かう道となっており、今でも「殿様道」と呼ばれています。

ここから東側の島原市境から雲仙岳に向かって伸びる沿線には、奈良時代の肥前国高来郡(たかくのこおり)の代表的な寺院跡と考えられる五万長者遺跡があり、6世紀中頃の築造とされ「鬼の岩屋」と呼ばれる高下(こうげ)古墳など3つの古墳が残っています。

お駕籠(かご)立て場

お駕籠立て場は、殿様が休憩のために駕籠を立たせた場所とされており、この場所で、しばし長旅の疲れをとっていたものと思われます。


所在地


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[雲仙市] [神代小路] 川西のまちなみ [日]

川西のまちなみ

神代川西のまちなみは、鍋島佐賀藩の飛び地として成立した神代鍋島領の町場として、栄えてきました。

商店街のまちなみには、かつての繁栄を感じさせる土蔵造りの商家が数軒残り、佐賀藩であった歴史に由来する恵比寿像群が街道沿いに今も残るなど、往時の面影を今日に伝えています。

鍋島邸まで徒歩10分。ぜひ足を運んでみて下さい。

鍋島邸は佐賀藩神代領主の陣屋跡で、平成19(2007)年に国の重要文化財に指定されています。

https://www.city.unzen.nagasaki.jp/info/prev.asp?fol_id=22441


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[雲仙市] [神代小路] 旧本田酒店 [日]

旧本田酒店

これまでに写真展や物産販売イベントなどで活用されています

神代町で代々酒屋を営んできた旧家です。現存する町屋は明治時代に建てられた、木造瓦葺の2階建ての居蔵造、1階91坪、2階38坪の大型の商家建築物です。入母屋造妻入、桟瓦葺き、白壁の土蔵造りとなっており、町場における伝統的な建築様式を今日に伝えています。

道路に面した1階表の「みせ」部分には13坪の広い表土間を構え、柱には大きなタブノキが使用され、本田家の繁栄をうかがい知ることができます 。

通りに面したファサードも良好に保存され、地区の代表的な商家建築物として、神代の伝統的な商家の景観を残す貴重な構成資産となっています。 一時、空き家となっていましたが、地域のイベント会場などとして活用されています。


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[雲仙市] [神代小路] 神代城(鶴亀城)跡 [日]

神代城(鶴亀城)跡

(雲仙市教育委員会所蔵)

神代城(鶴亀城)跡

神代港を望む高台に設けられた中世のお城です。南北朝時代に領主・神代貴益が入城したことに始まると伝えられています。

天正12(1584)年、島津・有馬連合軍と竜造寺軍が衝突した沖田畷の戦では、当時の領主、神代貴茂は竜造寺方に味方します。竜造寺隆信が戦死したため敗走した貴茂は神代城に籠城します。海と湿地帯に周囲を囲まれた神代城の守は固く、善戦しますが、神代氏は滅亡します。

その後、天正15(1587)年の豊臣秀吉による国割によって鍋島直茂に与えられました。慶長13(1608)年、鍋島信房(神代鍋島初代領主)の所領となると居城として整備が行われましたが、元和元(1615)年に出された一国一城令により廃城となりました。

昔、城上空に鶴が舞い、周囲の海には亀が泳いでいたといわれ、「鶴亀城」とも言われています。 本丸跡には、神代神社(昭和43年、天神橋麓から移築)と道政院稲荷神社(寛延元(1748)年建立)が祀られています。

神代神社

菅原道真朝臣命、鍋島豊前守信房公命の二神がお祀りしてあります。

当初、天満宮として創建されました。その後、天保14(1843)年になって、神代鍋島家13代鍋島茂坤(しげあつ)が初代信房の徳を慕って天満宮に合祀し、明治9年に神代神社と改称されました。昭和32年に発生した諫早大水害後の、みのつる川拡幅工事に伴い、横町小路の天神橋麓から現在地に社殿が移築されました。

道政院稲荷神社

神代鍋島家8代茂興は、延享4(1747)年、佐賀本藩の名代として第116代桃園天皇即位参列に赴き、その帰途、京都伏見稲荷から分祀し、翌年に社殿を本丸跡に建立しました。


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[雲仙市] [神代小路] 永松邸 [日]

永松邸

永松家は、神代小路の最南端に位置する武家住宅で、代々鍋島家の教育係を務めていたとされています。 主屋は寄棟造の茅葺き、一部2階建ての造りで、建築年代は江戸時代後期ごろとみられています。南北に長い敷地を囲む塀は、下部が自然石積み、上部が笹竹の生垣となっています。 明治期以降、数度の改修が行われていますが、大型武家住宅の初期形態を色濃く残した建物として、当時の威厳を今に伝えています。


住所長崎県雲仙市国見町神代丙112番地
開館時間不定期(入館無料)
TEL0957-38-3111
雲仙市役所 観光物産課

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[雲仙市] [神代小路] 中央枡形 [日]

中央枡形

神代小路のまちなみは、南北に流れるみのつる川の自然堆積地を核に造成され、計画的な武家町として形成されました。 河川で囲まれた神代小路の出入り口には橋が架けられ、武家地側には「桝形(ますがた)」と呼ばれる、敵が侵入しにくいように出入り口などを鍵形にした空間が設けられていました。 中央に位置した枡形は、道路の直線化により原形を失いましたが、現在の姿はその枡形空間を可能な範囲で再現したものです。


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