karatsu P33-P34 [ja]

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Information

名護屋城跡 (国の特別史跡)
唐津市鎮西町名護屋1931-3
観覧無料


黄金の茶室(佐賀県立名護屋城博物館内)
唐津市鎮西町名護屋1931-3
0955-82-4905
観覧無料


唐津くんち(ユネスコ無形文化遺産)
唐津市南城内3-13(唐津神社)
毎年11月2日〜4日
観覧無料


虹の松原 (国の特別名勝)
唐津市東唐津~浜玉町
観覧無料


中里太郎右衛門陶房
唐津市町田3-6-29
0955-72-8171


中野陶痴窯
唐津市町田5-9-2
0955-73-8881


GALLERY一番舘
唐津市呉服町1807
0955-73-0007


水野旅館
唐津市東城内4-50
0955-72-6201

隆太窯
唐津市見借4333-1
0955-74-3503


聴雪菴
唐津市東城内1-5
090-6246-2866

鳥巣窯
唐津市浜玉町鳥巣885-1
0955-58-2111


いな葉
唐津市宇木上2530
0955-53-8477

三藤窯
唐津市宇木2972-6
0955-77-0333


唐津さかもと
唐津市本町1935-1-1
080-4277-8596
*令和6年6月頃オープン予定

作礼窯
唐津市厳木町平之279
0955-63-4680


由起子窯・唐津 呂者堂
唐津市浜玉町東山田800−1
0955-56-8701


たまとり
唐津市京町1783 1F
0955-73-8800

monohanako
唐津市見借4838-20
0955-58-9467


横田悠一
店舗準備中
090-4004-8844

殿山窯
唐津市鎮西町名護屋1288
0955-82-4162


あるところ
唐津市鏡732
0955-58-8898

健太郎窯
唐津市浜玉町横田下1608-2
0955-56-2358

karatsu P25-P32 [ja]

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烏賊の活き造り

食 水野旅館 / 立花 研一郎
器 隆太窯 / 中里 隆、中里 太亀、中里 健太

名護屋城から移築された武家屋敷門が迎える老舗。唐津·呼子と言えば烏賊の活き造りだが、透き通る烏賊と隆太窯の焼締の荒々しさとの対比が美しい。太閤秀吉ゆかりの「とんさんなます(殿様刺身)」も水野旅館の名物。


胡麻豆腐と佐賀牛の炭火焼

食 聴雪菴 / 佐々木 拓也
器 鳥巣窯 / 岸田 匡啓

雪の音を聴きとるように、お客の声なき声を聴き、丁寧な仕事で応えていく。すり鉢で擂りあげた胡麻やじっくり焼かれた佐賀牛。鳥巣窯の繊細で品格ある器に盛り付けられた料理には、そんな主人の料理哲学が表現されている。


だし巻き卵

食 いな葉 / 稲葉 勝好
器 三藤窯 / 三藤 るい

懐石の修行を重ねた店主が作る、シンプルかつ存在感を放つだし巻き卵。いくつもの出汁をブレンドした特製の蕎麦出汁を使い、その美しくもやさしい黄色が、三藤窯の三藤るいさんによる柔らかな風合いを持つ器にしっくりと馴染む。


唐津の向付

食 唐津さかもと / 坂本 亮
器 作礼窯 / 岡本 作礼

白と黒のコントラストが美しい鮑型の朝鮮唐津の器から料理人が感じたのは、岡本作礼氏ならではの上品さと寛容さ。おのずと行き着いた素材は、唐津の海のものだった。胸を借りる思いで、飾らず、自然に、ありのままに仕上げた一品。


ちらし寿司

食 唐津 呂者堂 / 土屋 英二
器 由起子窯 / 土屋 由起子

唐津の海の幸に自家栽培の椎茸、山椒、三つ葉や酢蓮など、丁寧に仕事をした具材を寿司飯にちらした。「茜唐津」は、夕焼け空から名づけた独自の釉薬で、食卓に和みをもたらす。料理人の亭主と陶芸家の妻の協業が温かな空間をつくる。


イカサルサ

食 たまとり / 伊藤 真衣
器 monohanako / 中里 花子

器を見たら作者がわかる。チャクラと名付けられた皿、花子さんの顔が浮かぶ。「自由に作りなよ」という声が聞こえてくる。揚げたての烏賊とソース。自然と盛りつけの手が運ぶ。この料理を見て「たまとり」と言ってもらえたら嬉しい、と店主。


大地と海
サワラのポワレ

食 横田 悠一
器 殿山窯 / 矢野 直人

平らかな皿に流した釉薬は、行き場をなくし器の表面に凪の海のように漂う。主人自ら釣り上げた鰆と、腹身のクロケット(コロッケ)。海藻を混ぜ、波をイメージしたクレープにはアサリのソース。一皿で大地と海の旨味のエネルギーを表現している。


塩むすび

食 あるところ / 平河 直
器 健太郎窯 / 村山 健太郎

絶妙な手加減で握られた、真っ白な三角のおむすび。おむすびには、神宿る山の形を模し、それを身の内に入れることで神の力を得ようとした、という説がある。そんなおむすびを、凛とした佇まいの健太郎窯の斑唐津に盛りつけた。


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ゆめの又ゆめ

[A dream after a dream]

「兵どもが夢のあと」広大な敷地に石垣のみが残る肥前名護屋城跡。名護屋には全国から名だたる武将が集められ、最盛期には20万人もの人が暮らしていました。目的は、朝鮮、更には明国へ攻め込むためでした。詫び茶を大成した千利休に太閤秀吉がつくらせ、その後大陸からの使者たちさえも驚かせたという黄金の茶室も、かつてはここにあった。

果てぬ夢の地から連れてこられた陶工たちは、この地に優れた焼き物の技術を伝え、唐津焼の礎を築いてくれた。「ゆめの又ゆめ」は秀吉辞世の句の一節。


唐津の風景

[Karatsu Kunchi & Niji no Matsubara]

【唐津くんち】毎年十一月二日から四日にかけて行われる唐津神社の秋季例大祭が唐津くんちである。三日の御旅所神幸の際、海と松林を背景に豪華絢爛な十四台の曳山が白砂に曳き込まれ、曳き出される様子は、圧巻の一言。「唐津の美」を凝縮した瞬間だ。

【虹の松原】絵唐津の意匠としても印象的な松の木。四百年ほど前、唐津藩主寺沢広高により潮風や飛砂を防ぐために植えられた松林は、二里(約8km・現在は4.5㎞)にもわたり、日本一の松原として名高い。その長さや唐津湾に沿って弧を描く様子から、虹の松原と呼ばれる。まさに白砂青松の美しさである。


陶芸家たちの
唐津暮らしを訪ねる

文・8/2編集室

唐津駅の南口を出て、ものの十分も歩くと、その窯元はある。今日の唐津焼を築いた中里太郎右衛門陶房は、唐津のまちの中心地に静かに佇む。近くにかつての登り窯跡もあり、古くからこの地で焼き物の伝統をつないできた歴史がうかがえる。

ある窯元は鏡山から虹の松原と海を見下ろす高台に。ある窯元は海の近くに。ある窯元は住宅地のなかにひっそりと。そして、またある窯元は里山の奥、深い緑に囲まれた場所に窯場をつくった。

多くの焼き物の産地では、有田や伊万里のように窯元が集まっているが、唐津の約七十ある窯元は、広い市内のあちこちに点在する。先祖伝来の土地であったり、土を求めてたどり着いたり、その理由はさまざまだが、器作りに最適な地を選び、唐津焼の作家たちは、⾃らを表現するための場所を築いていく。また、分業ではなく、ひとつの窯元で土こねから焼き上げ、場合によっては自らの手で土を探し、掘り、土作りから一貫して行う風土があり、それゆえ唐津焼には、作家の個性が色濃く出てくるのである。

しかし、それは完璧なものを己の手で作り上げる芸術家ではなく、「作り手八分、使い手二分」の唐津焼の哲学にも代表されるように、最後を使い手にゆだねるおおらかさがあり、作家たちのいい意味でのゆるさ、人間としての豊かさが、作る器にも表れている。

そんな唐津の作家たちは、唐津の新鮮な地元⾷材を自ら調理し、⾃ら作った器に盛り付け、⾷とお酒を楽しんでいる。いわば、唐津暮らしの達人たちなのである。


斑唐津

藁灰などを混ぜた白濁する釉薬をかけたもので、乳白色の表面に青や黒の斑点がぽつぽつと現れることから斑唐津の名がつけられた。別名白唐津とも呼ばれ、シンプルながらも深みのある表情があり、茶碗や猪口なども多く作られている。


絵唐津

日本で初めて絵付けを施したとされる唐津焼の代表格。鬼板と言われる鉄溶液で絵を描き、透明な釉薬をかけて焼いている。草木や花、鳥や幾何学文様など、作り手の身近なものが題材であり、素朴ながら繊細で力強い表情が魅力。


黒唐津

鉄分を多く含んだ黒釉を用いて焼き上げたもの。使用する土や岩石に含まれる鉄分の量や、酸化の度合いにより、飴色から褐色、深い黒まで、ひと口に黒と言っても幅広い色彩を生み出すが、総称して黒唐津と呼ばれている。


三島唐津

朝鮮の李朝三島の技法を受け継いだもの。唐津では江戸時代に生産が始まったが、日本各地の産地で類型を見ることができる。半乾きの素地に印花紋や線彫などの文様を施し、化粧土を塗り、さらに釉薬をかけて焼き上げていく。


青唐津

木灰釉をかけて焼いたもので、燃料の灰や生地の中に含まれる鉄分の化学変化で、酸化炎では淡黄褐色となり黄唐津と呼ばれ、還元炎では、青く発色し青唐津と呼ばれる。流れやすく、器の内側に溜まった釉薬も見どころのひとつ。


朝鮮唐津

鉄釉と灰釉の二種類の釉薬を使い、高温で焼くことで釉が自然に溶け合う様子が楽しめる。釉薬同士の境界に生まれる青や紫、黄色などの繊細な色や多彩な表情が特徴。黒く発色する鉄釉を下に、乳白色の灰釉を上から流すものが多く見られる。


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karatsu P1-P10 [ja]

唐の津

九州の最北端。その名の通り、唐(中国)へと向かう津(港)のまち、唐津。朝鮮半島に近く、中国大陸の人・もの・文化をいちはやく受け入れ、発展してきた。

その歴史は古く、縄文時代後期の日本最古の水田跡をはじめ、多くの遺構が残されている。中国の歴史書『魏志倭人伝』には、末盧国(まつろこく)と記され、この地方一帯を指す松浦の由来ともなった。『万葉集』や『源氏物語』にも登場し、数々の歌も詠まれている。

大陸との交流により、室町時代から始まったとされるのが、唐津の焼き物文化だ。戦国時代の豊臣秀吉の朝鮮出兵により大きく進化を遂げ、唐津焼となったと伝わる。

江戸時代後期から昭和にかけて石炭の積出港として栄えたこともあり、城下町の風情を残しつつも、明治大正の近代建築や、昭和レトロな商店街が不思議と調和している。

唐津は、豊かな食と風光明媚な海のまちというだけではなく、お城や唐津くんち、虹の松原、唐津焼と、幾多の時代に彩られた資源に恵まれた、⽂化⾹るまちでもある。

映画「グラン·ブルー」で知られるフリーダイバー、ジャック·マイヨールも唐津に魅せられ、幾度となく唐津を訪れた。

世界とつながり、各時代時代に地層が重なるように様々な文化が花開いた唐津には、訪れるたびに、新しい発見と出会いがある。


からつもん

[Old Karatsu Ware]

岸岳付近で焼かれていた素朴な焼き物に技術革新が起こったのは、桃山時代。日本が朝鮮へ侵攻した際、一緒に連れ帰った朝鮮人陶工たちが、大陸の最新技術を伝えました。作風も種類も豊かになった唐津焼は、多くの茶人や文化人にも愛されており、「一井戸、二楽、三唐津」とは、古くからの茶碗の格付けを表した言葉である。

一時期衰退した唐津焼だが、中里無庵による古唐津技法の復活等により、現在では七十もの窯元が切磋琢磨し、唐津焼の伝統と革新を支えている。


作り手八分、使い手二分

[tsukurite hachibu, tsukaite nibu]

使っていくうちに、釉薬のひび割れが模様のように浮き出てくる(貫入)。それは、作り手から使い手に、作品の完成がゆだねられた証でもある。

唐津焼には、「作り⼿⼋分、使い⼿⼆分」という⾔葉がある。作り手が二分の余白を残し、使われることで真の完成とする、という唐津焼の哲学である。時間をかけて育てていくことで、⼟⾊が美しく変化していく。あえて完成形にしないからこそ、使い⼿の愛着が増し、唯一無二の〝自分だけの器〟となるのだ。


用の美

[you-no-bi]

落ち着いた色合いにシンプルな線。唐津焼は、一見すると地味な焼き物かもしれない。しかし、実際に料理を盛りつけ、野花を生けたとき、その真価は発揮される。⼟の温かみに溢れ、素朴で⼒強い質感は⽣活にしっとりと溶け込み、⾃然と料理を引き⽴て、また料理も器に引き⽴てられていく。

使うことで完成する器。その響きはとても現代的だ。使い手のことを考え、進化させ続けてきた唐津焼は、伝統的かつ、最先端の器でもある。


暮らしと器

文・行方ひさこ

一目見た時に、その「もの」が物体なのにも関わらず、あたかも命を持っているかのようにイキイキと輝いて見えることがある。一目惚れとはこんな瞬間なのかもしれない。それとは逆に、マンネリとも言える周りのものたちを「あれ、今日はいつもに増して佇まいが美しいね。」と、ふと惚れ直してしまうこともある。すると、いつもは普通の「もの」だったのに、愛情にも似た温かい感情を持つことで、あちらも「自分は特別だ」という顔をしているような気がしてくる。幸せな両思い。なんて思い込みなのかもしれないけれど、いずれにしても日々の暮らしの中で身のまわりに1つでも多く、自分にとって特別だと感じるものがあるということは、心満たされる時間を増やしてくれる。

暮らしの中に美しい「はずし」方、すなわち良い「スキマ」を見つけられることも、また幸せなことだと思う。私は、常日頃から「はずし」の幅をコントロールできる人がセンスの良い人だと感じている。正解を知っているからこそできることだし、バッチリ決めて武装すると、そこにはそれ以上の余白がなくなるからだ。華美なものでも作家性でもなく、高度な技術で作られたものでもなく、自分に必要なものが一番美しいのかもしれない。思いのままに心置きなく使えるものの方が生活の中で活きることも多いのではないかと感じる。言葉にできなくても、自分だけに感じるものがあればそれで良い。人であれ、ものであれ、向き合う相手と心地の良い関係を綴っていくことは、日々を、心を、美しく耕してくれる。

暮らしの原点はすべて自然から始まり、人が作り出すものの中には、表現や技法は違っても自然が存在する。器は、「食べる」という人にとって一番大切な、命を繋ぐ行為に欠かせないものである。大地から掘り出した土や石で器を作り、そこに自然からいただく命の恵みを載せる、手と心で生み出された器は、人間と自然とを繋ぐもの。そしてさらに、器は文化の交流により新たな花を咲かせてくれる。人と人との関わりを生み出し、人間と自然とを循環させてくれているものの1つ、そう思うと暮らしの中での器の立ち位置は、ぐんと重みを増してくる。

ことに唐津焼は、今でも大量生産とは違い、作家自らが山に入り土を掘り粘土を作る。釉薬も木や藁や自然のものから作られることが多く、まるで草木染のようだ。土を作るところからお客様のもとに届くまで、全工程を自身で行う作家が多いのも特徴のひとつ。全てが大地から生まれ、自然の恩恵を目一杯に受けて作られているからなのか、器そのものに自然の景色を見ているようだ。粗い土から作られる素朴さの中に品格を兼ね備えているのが魅力の一つだが、作家それぞれの特徴がきちんと「はずし」となって現れていることが多いように感じる。知れば知るほど奥深く、その「スキマ」はなかなか抜け出せない沼のようなものなので、心して関わっていただきたい。


行方ひさこ/ブランディング ディレクター。アパレル会社の経営、ファッションやライフスタイルブランドのディレクターとして活動。近年はエシカルとローカルをテーマに、その土地の風土や文化に色濃く影響を受けた「モノやコト」の背景やストーリーを読み解き、自分の五感で編集すべく日本各地の現場を訪れることをライフワークとしている。


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