karatsu P1-P10 [ja]

唐の津

九州の最北端。その名の通り、唐(中国)へと向かう津(港)のまち、唐津。朝鮮半島に近く、中国大陸の人・もの・文化をいちはやく受け入れ、発展してきた。

その歴史は古く、縄文時代後期の日本最古の水田跡をはじめ、多くの遺構が残されている。中国の歴史書『魏志倭人伝』には、末盧国(まつろこく)と記され、この地方一帯を指す松浦の由来ともなった。『万葉集』や『源氏物語』にも登場し、数々の歌も詠まれている。

大陸との交流により、室町時代から始まったとされるのが、唐津の焼き物文化だ。戦国時代の豊臣秀吉の朝鮮出兵により大きく進化を遂げ、唐津焼となったと伝わる。

江戸時代後期から昭和にかけて石炭の積出港として栄えたこともあり、城下町の風情を残しつつも、明治大正の近代建築や、昭和レトロな商店街が不思議と調和している。

唐津は、豊かな食と風光明媚な海のまちというだけではなく、お城や唐津くんち、虹の松原、唐津焼と、幾多の時代に彩られた資源に恵まれた、⽂化⾹るまちでもある。

映画「グラン·ブルー」で知られるフリーダイバー、ジャック·マイヨールも唐津に魅せられ、幾度となく唐津を訪れた。

世界とつながり、各時代時代に地層が重なるように様々な文化が花開いた唐津には、訪れるたびに、新しい発見と出会いがある。


からつもん

[Old Karatsu Ware]

岸岳付近で焼かれていた素朴な焼き物に技術革新が起こったのは、桃山時代。日本が朝鮮へ侵攻した際、一緒に連れ帰った朝鮮人陶工たちが、大陸の最新技術を伝えました。作風も種類も豊かになった唐津焼は、多くの茶人や文化人にも愛されており、「一井戸、二楽、三唐津」とは、古くからの茶碗の格付けを表した言葉である。

一時期衰退した唐津焼だが、中里無庵による古唐津技法の復活等により、現在では七十もの窯元が切磋琢磨し、唐津焼の伝統と革新を支えている。


作り手八分、使い手二分

[tsukurite hachibu, tsukaite nibu]

使っていくうちに、釉薬のひび割れが模様のように浮き出てくる(貫入)。それは、作り手から使い手に、作品の完成がゆだねられた証でもある。

唐津焼には、「作り⼿⼋分、使い⼿⼆分」という⾔葉がある。作り手が二分の余白を残し、使われることで真の完成とする、という唐津焼の哲学である。時間をかけて育てていくことで、⼟⾊が美しく変化していく。あえて完成形にしないからこそ、使い⼿の愛着が増し、唯一無二の〝自分だけの器〟となるのだ。


用の美

[you-no-bi]

落ち着いた色合いにシンプルな線。唐津焼は、一見すると地味な焼き物かもしれない。しかし、実際に料理を盛りつけ、野花を生けたとき、その真価は発揮される。⼟の温かみに溢れ、素朴で⼒強い質感は⽣活にしっとりと溶け込み、⾃然と料理を引き⽴て、また料理も器に引き⽴てられていく。

使うことで完成する器。その響きはとても現代的だ。使い手のことを考え、進化させ続けてきた唐津焼は、伝統的かつ、最先端の器でもある。


暮らしと器

文・行方ひさこ

一目見た時に、その「もの」が物体なのにも関わらず、あたかも命を持っているかのようにイキイキと輝いて見えることがある。一目惚れとはこんな瞬間なのかもしれない。それとは逆に、マンネリとも言える周りのものたちを「あれ、今日はいつもに増して佇まいが美しいね。」と、ふと惚れ直してしまうこともある。すると、いつもは普通の「もの」だったのに、愛情にも似た温かい感情を持つことで、あちらも「自分は特別だ」という顔をしているような気がしてくる。幸せな両思い。なんて思い込みなのかもしれないけれど、いずれにしても日々の暮らしの中で身のまわりに1つでも多く、自分にとって特別だと感じるものがあるということは、心満たされる時間を増やしてくれる。

暮らしの中に美しい「はずし」方、すなわち良い「スキマ」を見つけられることも、また幸せなことだと思う。私は、常日頃から「はずし」の幅をコントロールできる人がセンスの良い人だと感じている。正解を知っているからこそできることだし、バッチリ決めて武装すると、そこにはそれ以上の余白がなくなるからだ。華美なものでも作家性でもなく、高度な技術で作られたものでもなく、自分に必要なものが一番美しいのかもしれない。思いのままに心置きなく使えるものの方が生活の中で活きることも多いのではないかと感じる。言葉にできなくても、自分だけに感じるものがあればそれで良い。人であれ、ものであれ、向き合う相手と心地の良い関係を綴っていくことは、日々を、心を、美しく耕してくれる。

暮らしの原点はすべて自然から始まり、人が作り出すものの中には、表現や技法は違っても自然が存在する。器は、「食べる」という人にとって一番大切な、命を繋ぐ行為に欠かせないものである。大地から掘り出した土や石で器を作り、そこに自然からいただく命の恵みを載せる、手と心で生み出された器は、人間と自然とを繋ぐもの。そしてさらに、器は文化の交流により新たな花を咲かせてくれる。人と人との関わりを生み出し、人間と自然とを循環させてくれているものの1つ、そう思うと暮らしの中での器の立ち位置は、ぐんと重みを増してくる。

ことに唐津焼は、今でも大量生産とは違い、作家自らが山に入り土を掘り粘土を作る。釉薬も木や藁や自然のものから作られることが多く、まるで草木染のようだ。土を作るところからお客様のもとに届くまで、全工程を自身で行う作家が多いのも特徴のひとつ。全てが大地から生まれ、自然の恩恵を目一杯に受けて作られているからなのか、器そのものに自然の景色を見ているようだ。粗い土から作られる素朴さの中に品格を兼ね備えているのが魅力の一つだが、作家それぞれの特徴がきちんと「はずし」となって現れていることが多いように感じる。知れば知るほど奥深く、その「スキマ」はなかなか抜け出せない沼のようなものなので、心して関わっていただきたい。


行方ひさこ/ブランディング ディレクター。アパレル会社の経営、ファッションやライフスタイルブランドのディレクターとして活動。近年はエシカルとローカルをテーマに、その土地の風土や文化に色濃く影響を受けた「モノやコト」の背景やストーリーを読み解き、自分の五感で編集すべく日本各地の現場を訪れることをライフワークとしている。


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